ホームページ目次前の話次の話


1999年03月13日−−−−−無くしたバッグ(未来は過去のオプションであってはならない)

 かれこれ10年位前の話し。留学時代の同級生を尋ねて、ロサンジェルス郊外のオンタリオ空港に到着した。個人旅行の習慣で、到着するとすぐに次の目的地までの飛行機のリコンファメーションをすることにしていた。いつもより確認に時間がかかった。航空カウンター越しに「オーケーだよ」との声を聞いて一瞬油断した。それまで気を配っていた、スーツケースの上に乗せてあった肩かけバックから意識が離れた。気がついたらバックが消えていた。後ろに並んでいた人間が盗んでいったのだった。

 すぐに空港内に警察の事務所を探して報告した。すぐさま警察官が探しに走ってくれた。しばらくして戻ってきたが、当然のことながら見つからなかった。がっかりしながらも、とにかく友人の家まで行かなくてはと思い、レンタカーを運転して彼の家を目指した。

 日も暮れかかった頃、ようやく彼の家にたどりついた。突然やってきた私を大歓迎してくれた。友人と出会えた喜びとともに、先程の盗まれたバックのことでのショックが襲ってきた。友人は、その晩も、またその翌日も、何度か空港の警察事務所に電話を入れ、私のバックが発見されたかどうか聞いてくれた。

 彼の家に来て3日目、彼に意見を求めた。すると彼はこう言った。「聞かれたから言うのだけれど、確かに盗まれたバックのことは残念だろうし、悔しいだろうと思う。でもね、君のこの旅行はまだ4、5日あるんだろう。盗まれたバックのことは残念だろうが、それを気にやんで後の4、5日を過ごすのがいいのか、それとも、盗まれたバック、それはそれとして、残りの時間を楽しく過ごすのとどっちが良いと思う?」と言われた。盗まれたバックの為に、楽しいであろう残りの時間までだいなしにしてしまうところだった。

 私は、彼の素晴しいアドバイスの通り、残りの時間を思いきり楽しんで、そして日本に帰国した。考えてみると、私の無くしたバックと同じような「モノ」って人生の中にもないですか?


ホームページ目次前の話次の話 inserted by FC2 system