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1999年01月01日−−−−−インターネットの可能性


 年末に本を読みました。日経BP社から出ている本でタイトルは「社長失格」。このホームページを訪問してくださる方は、少なからずインターネットに触れている方々ですので、ご存じの方も多いのではないかと思いますが、アスキーがやっていたインターネット無料接続サービス、インターネットフリーウェイのおおもとを作った人、板倉雄一郎さんが書いた本です。最初にこの事業を手がけたのがアスキーであったが為にアスキーのサービスと思われているむきも多いようですが、実はこれはハイパーネット社の板倉社長(1963年生まれ)が考え出したもの。

 ざっとお話しすると、1995年、まだまだインターネットが一部の研究者のネットワークであった時代に、新しい広告技法に利用できると着目(広告主がメッセージを伝えるのに、大衆から分衆、小衆へとターゲットを絞り込みピンポイントで消費者に伝えようとしていた)。おりしもベンチャーブームにのって金融機関が積極的に投資先を探していた。彼の着目の素晴しさに、ハイパーネット社はその大きな波に乗せられて、あっというま最先端を突っ走りだした。ところが、たった1年で時代は大きく変わり、ビックバンを目前にした金融機関は、これまたあっという間に融資していた資金を引き上げた。新しい芽が出ているとの板倉社長の説得もむなしく会社は坂を下り始めた。もとより金融機関には、インターネットを利用した新しいマーケティングの可能性に融資をしたのではなく、ベンチャーへの融資が金融機関の先進性を示す為の単なる体裁にしかすぎなかったわけだ。1997年、山一証券倒産(11月)のその後、この会社は短く太く生きた会社生命を終えた。

 私にとっては、かつて「パソコン」誕生の黎明期に見せてくれた熱気と同じものを感じさせてくれていた「インターネット」を活用した事業だけに、こういったものを育てきれなかった日本の土壌に少なからずがっかりもしたものだ。インターネットそのものは新しい技術ではなく、むしろそこへ結びつける「何か」が大切なのだということは、たとえ芽だけで終わったにしてもハイパーネットの板倉さんは証明してくれたのではないかと思っている。

 世の中の目が、彼の「白金台の一戸建」と「フェラーリ」にだけしか向いていなかったとしたら、もう一度「夢」について考えてみる必要があるのかもしれない。彼が満たした夢は単に物質的なモノだけであったとしても、それはいずれ彼が達するであろうもっと大きな精神的意味での「夢」に到達する一里塚でしかないのだから。インターネットの時代は、もっと広い視野で「成り上がってやろうという者」も見守ってあげられる懐の深い世界であって欲しいものだ。

 最後に、私はこの板倉さんという方とは一面識もないことをお伝えしておきます。

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