1999年11月20日−−−−−ラスベガス
先週ラスベガスでコンピュータのトレードショーがあり、日本からの訪問者の同行を頼まれ途中から合流
し3泊5日(当初ティケットが取れず、2泊4日になるところだった)のアメリカ旅行をしてきた。
ラスベガスはこれで4度目。始めていったのが、確か1992年だったと思う。その間にずいぶんと沢山
のホテルが建築された。それにともないストリートに面した部分に毎夜アトラクションが華やかに繰り広げ
られていた。
以前だったら、どちらかというとギャンブルを楽しむ「オジサン」の街という印象だったが、昨今は日本
から直行便が来ているくらいだから、その多くは若者が締めるようになってきた。つまりは彼等にとっても
魅力的な街へと変貌を遂げてきた証拠だろう。
それでも、シーザースパレスにあるアーケードも追加されてはいるものの、以前の街なみも残っているし
いつもグループでにぎやかにおしゃべりをするバイキングのレストランもそのまま残っている。久しぶりに
おとずれた都市で昔と同じ場所を見つけると、なんとなくホッとした気持になるものだ。
今回はミュージカルを見る機会があった。ホテル、ニューヨーク・ニューヨークで行われた「Load
of the
Dance」(近々、日本でも上演するそうです)というもの。アイルランドでのお話しをストーリ化したタップ
ダンス。人間訓練を積むと、こうもみごとに動きをシンクロナイズできるものだと感心した。さすがプロで
ある。観客も比較的平均年齢が高く白髪交じりの頭をしたご夫婦も多かった。素晴しい歌とダンスの舞台が
終るとスタンディングオベーション(座席から立ち上がって最高の賛美の拍手を送る)でダンサー達をたた
えた。
いつものように、海外に出ていても仕事のメールチェックはしていた。情報産業内での私的交流会があり
そのメンバーの中で、いろいろ会場となるレストランなどの手配をテキパキやってくれるチャーミングな女
性がいた。その女性からメールを貰った。なんでも会社をやめてロサンジェルスに来ているとか。しばらく
英語の勉強をするのだそうだが、いざとなったら女性の方が思いっきりがいい。
それにしても、メール交換したら、たまたまその時は双方ともアメリカにいた、というのもなんとも現代
的で面白い。
砂漠の中に人工的に作った街。当然のことならが乾燥している。メンバーの一人がノドをやられたので
世話をしていたが、帰国時には、こちらも風邪っぽくなってきた。帰ってきてから本格的な風邪の症状に
なり、23日(勤労感謝の日)は一日パジャマ姿で過ごした。またその翌日は夕方早めに帰宅し、夕食も
とらずに眠りこんだ。気がついたら翌朝だった。たぶん時差ぼけも残っていたのだろう。
年内にもう1度、海外(マナ島)にでてそれで終り。通算5回海外にでる勘定になる。