7.マナアイランド 見晴らしの丘から見た景色 ・・・ (2018/09/04)
MANA ISLAND RESORT & SPA - FIJI
こちらがマナアイランド・リゾート&スパの配置図 |
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丘の頂上までは階段が用意されています |
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このアンテナはフィジー本島との間の通信用。これがあるお陰でマナ島でも携帯電話が通じます。 |
どこまでも透き通ったブルーの海 |
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大きな屋根はレストラン、プールも見えますね |
右手前に宿泊棟があります。2000年に家族5人でここに泊まりました。エアコンも付いて快適でした。ちなみにこの年はクーデターが起きた年でしたが、現地の知人に確認したところ、心配することはない、と言われ渡航を決めた思い出があります。 |
こちらはマナホテルで働く従業員のブレ(小屋)が並んでいます |
海沿いは崖なので、働く人たちは遠回りするか、この丘を越えて行く方法があるようです。 |
マナ島に国境が?
大分以前の話しですが(20年以上前)、マナ島の綺麗な海を利用させて貰っているお礼にと、マナ島を訪れるたびに地元の小学校に文房具(鉛筆、消しゴム、ノート、クレヨンなど)を持参し、プレゼントしていました。それが桟橋からマナ島を見た際、右側にある地区。 |
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桟橋の先から撮った写真。写真中央より右手が島民の居住区で小学校や教会、そしてバックパッカー向けの受け付け・食堂・ダイブショップなどがある場所。 | こちらがフェンス、昔見たものに比べてガッシリとしたものに交換されていました。鍵がかかっていましたが島の老人に聞くと、あちら側に行きたければ、少し戻って海辺を歩いて行けば簡単に向こう側に行けるよ、と。 |
島の花達は、そんなこと関係ないよ、と綺麗に咲いていました。 |
このフェンスを超えてこの先に行く方は、自己責任でどうぞ、と書いてあります。マナホテル宿泊者のことを心配してくれているだけで、別に向こう側に行ったからといって何かが起こるとは思えません。 |
◎フィジアンには2つの人種が フィジーに始めて行った方は、インド人っぽい人がいるのに気が付いたかれたかと思います。実はイギリスが統治した時代、サトウキビを増産させるためにインドから労働者を沢山連れて来たのだそうです。イギリス政府は、インドに帰りたければ仕事が終わったら帰ってもいいし、もしくはここに住みたければそのまま住んでもいい、と言ったそうです。 聞いた話しでは、今いるインド系の人は3〜4世だそうですが、今さらインドには帰れないですよね。で、国民性ですかねぇ、インド系の人は商才にたけていて、小銭を貯めて子供に教育を受けさせ、お陰でビジネスでも成功する人も多数出たようです。いつしか商業もそして政治にまで多数派になってきてあわてたのは本来のフィジアン達。過去、何度か軍部によるクーデターが起きているようですが、理由はいつも同じ。権力を持ちすぎたインド系住民に対し、ここは本来我々の国なんだと反発が。インド系のフィジアンも、彼らにそう言われちゃしょうが無いよねとひっこんだため、他国で発生するような血塗られたクーデターにはならずに済んでいます。 マナ島では何かを配慮をしているのかもしれませんが、インド系フィジアンはいません。反対にフィジー本島に戻り、土産物屋に寄ってみると、多くはインド系フィジアンなのが分かるでしょう。やはり億の民をかかえ、切磋琢磨してきたインド人と、南の島でのんびり生活してきたフィジアンとでは国民性がまったく違うのでしょうね。 |
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