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「こんなふれあいが、もっと早くできればよかった」と思いながらマナ島を後にしました。

1997年8月28日−−−−−宮本 和史さんより

 マナ島にいって初めて、その良さがわかりました。ホームページまで作ってしまう松本さんの思い入れがわかります。時間がゆっくりと過ぎているマナ島に定住したいなあとも思います。あわただしい日本を離れ、マナ島最後にふれあったあの子どもたちと毎日ふれあうことができたら・・・。

(追伸)として、帰りの飛行機の中で日本人の客室乗務員の方から聞いた情報を一つ。今回の旅、往復とも関空からのAirPacific便を利用したのですが、乗客の少ないことに驚きました。行きが50人くらい、帰りが30人くらいでした。成田便は好調なのですが、関空便はこんな状態ですから、近いうちに休航になるかもしれないとのこと。Fiji,Manaの自然を守るためには、あまり客が増えなΔ方がいいのかもしれませんが、寂しいことです。

1997年8月22日−−−−−宮本 和史さんより

 昨日(8月21日)fijiから帰ってきました。ここ3年ほど夏休みを利用して海外に出かけていますが、今年はのんびりしようということで、fijiに決まり。(子どもが半額ということも大きい。)

 はっきり言って、最初は、fijiがどこにあるのかさえ知りもしませんでした。旅行ガイドなどは数が少なく(ちなみに、「地球の歩き方」「ひとりで行ける世界の本 フィジー編」の2冊だけ)何かいい情報はないものかと思って探し出したのがこのページ。たいへん参考になりました。

 この時期は、乾季ということで抜けるような青空を期待していったのですが、ついた日(8月15日)は、どんよりとした曇り空。それでも日本の海と比べれば、青さが違いました。

 2日目も曇り。時折、小雨も混じる天気。聞けば、「この1週間くらい、ずっと天気が悪い。」とのこと。そういえば着いた日に、帰る準備をしていた日本のgalたちの色の白かったこと・・・・。そしてこの日の夜は、どしゃ降りの雨。息子たち(11歳と8歳)と話し合って、早速、てるてる坊主をぶら下げました。

 その効果が出たのか、3日目は薄曇り。早速シュノーケリングに出かけました。ちょっとでも晴れると、海の中まで様子が変わったよう。珊瑚の周りを泳ぐ魚たちもうれしそうでした。試しにパンをやってみると、無数の魚たちがそばに寄ってきて、手に持ったパンを我先に奪い合っていました。この日印象的だったのが、従業員、イタリアその他の国からの宿泊客、そして私、長男を交えてのサッカー。言葉が通じなくても、一気に仲良くなってしまいました。特に長男などは、サッカークラブに入っていることもあって、みんなから「koki.koki」(息子の名前)と呼ばれて大人気でした。

 4日目は、雲一つない青空。家族4人とも1日で真っ黒になってしまいました。いよいよマナ島とお別れの日、桟橋近くのビーチで船を待っていると、フィジアンの子どもたちが2人そばに寄ってきました。こちらから英語で話しかけると、いろいろなことを話してくれました。こちらは、ありったけの単語を並べて話をしているのに、この子たちは実に上手に英語を話します。(こんな小さな子たちが上手にしゃべれるなんて、実にうらやましい。フィジー語と英語のBILINGUALなんて・・・。)「こんなふれあいが、もっと早くできればよかった。」と思いながら、マナ島を後にしました。

だらだらと日記ふうになりましたが、、この辺で、MOCE!


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